わくわく大多喜

わくわく大多喜

大多喜町の歴史

千葉県のほぼ真ん中に位置する大多喜町。
かつて房総を定める要所であった大多喜町は城下町として栄え、また、房総半島の東西を結ぶ宿場町として栄えました。

大多喜の街のシンボルである大多喜城は、戦国時代に上総国を領した真里谷武田氏の築いた小田喜城がベースとされています。
天生10年(1590)に徳川四天王のひとり本多忠勝が城主に任じられ、大改修と同時に大多喜城と改名されました。

大多喜の城下町には今も江戸時代以来の商家が残り、「房総の小江戸」と称されています。
城下町は、「根古屋七町」と呼ばれる7つのエリアから成り立っていました。
今でも江戸時代の面影を残す歴史的な建造物が点在しており、情緒あふれる街並みが広がっています。

大多喜町の西方には、房総随一の温泉郷 養老渓谷があります。
渓谷にはいくつもの滝が点在し、パワースポットとしても有名です。
今からおよそ140年前に造られた隧道 弘文洞跡は、養老渓谷を代表する景勝地であり、
全国的にも珍しい手掘りの2階建トンネル「共栄・向山トンネル」が残っています。

大多喜町内には2本のローカル鉄道が走っており、風情豊かな田園風景をゆっくり堪能できます。

東には歴史を感じる大多喜の城下町、西には養老渓谷の自然が創り出す絶景。そして両者を結ぶローカルライン、小湊鉄道といすみ鉄道。大多喜町には多くの観光名所が集まっています。

電車に揺られて泊りがけののんびり旅でも、房総ドライブの途中にちょっと立ち寄る観光でも、どちらにも適した町だといえます。